旭硝子争議

あさひがらすそうぎ
出典: Web版尼崎地域史事典『apedia』

  三菱財閥の岩崎俊弥によって1907年(明治40)9月に創設され、1909年11月に新城屋新田で操業を始めた旭硝子では、1918年(大正7)3月賃上げ要求を会社が拒否し、22日夜勤者約60人が不穏の形勢を示した。翌1919年7月29日にはストを敢行して1人10銭賃上げを獲得した。さらに1920年2月7日、西寄宿舎職工91人が、1本1厘の硝子吹き奨励金を7厘に値上げすることを要求し、血判状に捺印して全工場ストを計画、同夜尼崎署は首謀者とされる21人を引致、会社がこれを馘首した。同年8月6日の200人解雇に続き、12月7日同社は人口吹きを機械に改めるとして850人中708人を6日付で解雇したことを発表し問題化したが、退職・解雇特別手当、帰郷旅費支給、職業紹介などで解決した。1921年9月23日同工場煉瓦部門は閉鎖され、70余人に解雇手当・帰郷旅費支給などの条件で落着した。なお同工場は、1928年ベルギー特許のフルコール式装置を備えて再開された。

執筆者: 久保在久

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