沙汰人

さたにん
出典: Web版尼崎地域史事典『apedia』

  本来は、物事を取り仕切ったり、執行したりする人の意。中世でも、役所や荘園の管理執行をつかさどる役人とか、寺院における各種の集会〔しゅうえ〕の幹事を指すなど広く用いられた。しかし、とくに南北朝以降、村落や地下〔じげ〕において自治組織が発達してくると、その「惣〔そう〕」と呼ばれた自治組織を指導し代表する者を沙汰人と称するようになった。その場合、沙汰人だけが惣の代表者だったのではなく、名主・番頭らとならんで登場するのが一般的であった。市域では、早くも1326年(嘉暦元)9月に、長洲の地下が大覚寺の維持・保全に共同して責任をもつことを誓った起請文に、地下を代表して代官・番頭らとともに沙汰人たちが署名している。

執筆者: 田中文英

参考文献

  • 三浦圭一『中世民衆生活史の研究』 1981 思文閣出版
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