竹谷新田

たけやしんでん
出典: Web版尼崎地域史事典『apedia』

  本庁地区の大字。市域南部、蓬川の東岸、西屋敷の西に位置する。竹屋新田と記す史料もある。西難波地内に開発され、開発年代は不詳である。1833年(天保4)の史料に同新田の地主として竹谷九兵衛という者があるので、村名は開発者名に由来するとも考えられる。尼崎藩領であった。「正保郷帳」には西難波の新田高・竹屋新田として221.027石とある。天和貞享年間(1681~1688)「尼崎領内高・家数・人数・船数等覚」(『地域史研究』第10巻第3号)には206.679石、家数17軒、人数94人、1788年「天明八年御巡見様御通行御用之留帳」(『地域史研究』第1巻第2号・第3号)には211.921石、53軒、302人とある。「元禄郷帳」には記載がなく周辺の村高にも含まれていない。「天保郷帳」では別所村の村高に含まれているようである。西屋敷から中国街道が通じており、境である堀の対岸には竹谷御門があった。1669年(寛文9)には村域内に出屋敷が建設された。氏神は貴布禰神社であったが、1915年(大正4)宮町貴布禰神社に合祀された。

  1889年(明治22)以降は尼崎町1916年(大正5)以降は尼崎市の大字となった。1905年には阪神電鉄出屋敷駅が開設され、大正年間にやや西の現在地に移転した。1930年(昭和5)の町名改正により北竹谷町・宮内町・竹谷町・南竹谷町・西本町・玄番〔げんば〕北之町・玄番南之町および、西本町の一部となったほか、一部が神田南通・建家町となった。

執筆者: 地域研究史料館

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