宮町

みやまち
出典: Web版尼崎地域史事典『apedia』

  近世以来の尼崎町の町名。1618年(元和4)に開始された尼崎城の築城にともなって、中在家町とともに城の西方に新たに建設された。宮町は侍屋敷と中在家町の間、中国街道の街道筋にあたり、城地にいた商人を戸田氏が大垣に転対する1635年(寛永12)までに移転集任させたものであろう。なお1669年(寛文9)別所村を隔てた竹谷御門の外の街道筋に、飛び地である宮町新家(出屋敷)が建設された。「尼崎領尼崎町本地子」(金蓮寺〔こんれんじ〕旧蔵文書写)によれば戸田氏の時代の地子米25.255石、「築地町式日帳」(『尼崎市史』第5巻)では1769年(明和6)の惣町間口305間、「城内・城下間数・家数書上げ」(年不詳、同前)には家数89軒とある。尼崎町総氏神の貴布禰神社がある。真言宗醍醐派大行院があったが1959年(昭和34)三反田に移転、浄土真宗本願寺派妙光寺戦災で焼失し西難波〔なにわ〕町に移転、また日蓮宗本興寺末真如庵があった。

  1930年(昭和5)の町名改正により西本町の一部となった。中在家町との境の本町筋が本町通商店街として栄えたが、1945年(昭和20)家屋疎開の対象となり消滅した。

執筆者: 地域研究史料館

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