細川澄元

ほそかわすみもと
出典: Web版尼崎地域史事典『apedia』

  1489年(延徳元) - 1520年(永正17)6月10日

  戦国時代の武将。阿波守護細川義春の子で、細川政元の養子となり、1506年(永正3)には摂津守護に任ぜられた。翌年6月政元が暗殺されると、細川高国らと結んで8月義兄澄之〔すみゆき〕敗死させ、細川氏家督となった。しかし1508年大内義興が前将軍義稙〔よしたね〕を擁して上京すると高国らからも見放され、澄元政権はわずか8か月の短命に終り、澄元自身も近江へ逃亡した。その後家宰三好之長の援助で阿波へ潜行した澄元は、1511年再起の挙兵をはかり、摂津灘〔なだ〕を経て上洛したのもつかの間、京都船岡山に大敗して阿波に逃げ戻った。1519年11月にも兵庫に上陸、尼崎で高国軍を撃破したが、翌年5月京都等持寺の戦いで敗れ、阿波に帰国して病没した。

執筆者: 今谷明

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