薄井一哉

うすいかずや
出典: Web版尼崎地域史事典『apedia』
薄井一哉市長
薄井一哉市長

  1897年(明治30)2月11日 - 1981年(昭和56)10月16日

  公選の尼崎市長。在任期間は1954年(昭和29)12月12日~1966年12月11日の3期。

  石川県石川郡に生まれる。高等小学校卒業後台湾へ渡り、台湾総督府・台湾銀行などで働きながら同地の中学校を卒業、帰郷ののち1925年(大正14)6月尼崎市職員となる。1951年(昭和26)の阪本勝市長就任にともない同年5月助役となり、防潮堤建設の財源確保、財政難の立て直しに奔走した。1954年12月、阪本勝の兵庫県知事選出馬により後継者として市長選挙にのぞみ、左右両社会党の推薦を受け当選、当選後は「(社会党ではなく)市民の市長」を表明し、2期目以降は保守系候補として当選した。この間、1956年11月には財政再建団体の指定を受け、厳しい緊縮財政のもと1960年度までに8億円におよぶ赤字を解消、西ドイツ・アウクスブルク市との姉妹都市提携1959年)や東七松町の現市庁舎建設(1962年)などを実現した。1967年名誉市民となった。

執筆者: 地域研究史料館

参考文献

  • 『愛情一世-薄井一哉追想集-』 1987 薄井一哉追想集発刊実行委員会
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