8時間労働制

8じかんろうどうせい
出典: Web版尼崎地域史事典『apedia』

  国際労働会議(ILO)で提起され、1919年(大正8)11月第1次世界大戦終結にともなう講和会議で8時間労働制を国際的に広めようとの議が起こった。我が国では友愛会が8時間制要求の運動を起こし、同年9月神戸川崎造船所が全国に先駆けて実施。メーデーでもスローガンの筆頭に掲げられ、各地で8時間制要求のストが続発した。尼崎でも1919年10月大日本木管製造工場の職工350人が11時間勤務の8時間への短縮を要求、会社の9時間回答を不満として同盟休業に突入するなど、数多くの闘いが組織された。しかしこの要求は、労働時間短縮による労働者の健康保持や文化的欲求を満たすために振り向けられたのではなく、所定勤務時間外の時間外手当獲得に主眼がおかれ実質的には賃上げ運動の一形態をなしていた。戦後労働基準法の制定にともない、1日について8時間の労働時間が明記された。

執筆者: 久保在久

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