山岡内燃機

やまおかないねんき
ヤンマーディーゼルより転送)
出典: Web版尼崎地域史事典『apedia』

  1933年(昭和8)12月23日、世界で初めての小型ディーゼルの試作機が快調に動いた。1912年(明治45)3月に山岡発動機工作所を創業した山岡孫吉と同工作所の技術者たちが、年来精魂傾けて取り組んで来た5馬力の横形水冷エンジンの完成であった。このころ、工作所は従業員120名(本社大阪市北区、事務系30・技術系60・支店関係30)という規模だったが、量産のための工場用地の手当てに入り、小田村長洲治京(現長洲東通1丁目)の約4万m2を買収した。かねて山岡が検討していた、国鉄の駅に近く、広告がよく目を惹き、将来の拡張も可能という条件を満たす場所であった。生産は当初は月産100台、将来は年3万台が計画され、神崎工場として発足し、1936年1月9日に本格的操業に入った。同年1月28日、同所に本社を置く山岡内燃機(株)が資本金300万円で設立された。1940年11月12日、発動機工作所と内燃機が合併(資本金800万円)、1943年4月11日には本社を大阪市北区茶屋町に移転し、神崎工場は尼崎製作所と改称された。1944年1月に軍需会社に指定され、1945年6月15日の空襲で被災、建屋の70%、機械設備の30%が焼失した。同年9月、尼崎製作所を旧称である神崎工場に改称、1952年2月には社名をヤンマーディーゼル(株)と改称し、1970年7月には神崎工場を尼崎工場と改称した。

  1953年、山岡孫吉の欧米視察を契機に、彼の創意で始まったルドルフ・ディーゼル博士顕彰の活動は、日独の文化交流を促し、尼崎とアウクスブルクとの姉妹都市提携の出発点ともなった。

執筆者: 名和靖恭

  2002年(平成14年)7月、ヤンマーディーゼルは事業持株会社に移行し、社名をヤンマー株式会社に変更した。

執筆者: apedia編集部

参考文献

  • 『燃料報国-ヤンマー70年のあゆみ』 1983
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