五〇区制

ごじゅっくせい
出典: Web版尼崎地域史事典『apedia』
1872年2月、五〇区制分画図
1872年2月、五〇区制分画図

  1871年(明治4)11月20日の布告による府県大廃合により摂津国西部5郡を一円的に管轄する第2次兵庫県が成立し、1872年2月には尼崎県などの移管を終え、県下が50区に分画された。武庫郡は第18~22区、川辺郡は第23~39区となり、そのうち尼崎市域は第21~31区に分属した。1871年の戸籍法を契機として設定された区制の場合のように、一つの村が政府直轄領かによって二つの区に分属することはなくなり、自然村の統一がはじめて回復された。尼崎での例外は士族が多く居住していた別所村で、同村のうち大部分は新城屋新田と合体して第23区となり、その他の士族屋敷地と寺町旧城郭内宮町の士族屋敷地と合体して第24区となった。各区には戸長が置かれたが、第24区のみは戸長のほか副戸長1名が置かれた。1872年5月一九区制に改編された。

執筆者: 山崎隆三

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