博愛幼稚園

はくあいようちえん
出典: Web版尼崎地域史事典『apedia』

  学制教育令の制定以降、県下特に阪神山陽間でも幼稚園設立の機運が高まるなか、尼崎町大物の有力者で醤油醸造業者の大塚万次郎は、中塚東介・飯井佐吉らとともに幼稚園設立に着手、桜井神社から用地を借り受けて園舎を新築、1890年(明治23)4月23日、博愛社の名をとり博愛幼稚園として定員100人で開園。当時は幼稚園に子弟を通園させるのはごく一部の恵まれた家庭であったため、入園者は53人で各家庭から納付される保育料では園の経営も難しく、わずか1年半で休園、1893年3月廃園。その後、尼崎町の学齢児童の増加と、日清戦争後の好況も加わって、1895年7月再び大塚万次郎・飯井佐吉の両名が出願人となって、幼稚園再開のための町費補助を町役場に請願。町議会の決議後1896年7月に開園、1912年(大正元)には園舎を現園舎所在地(南城内5)に新築して桜井神社から移転し尼崎町教育会に移管、1943年(昭和18)10月1日には尼崎市に移管、翌年には尼崎高等女学校付属となるが、戦争のため一時休園。戦後1946年10月再開園して市立尼崎高等学校(前高等女学校)より独立、専任園長も配置された。以後1955年には6組編成240人の園児を収容するが、その後の市南部地区人口の減少で学級も小規模化し1986年には単一学級(37人)となった。

執筆者: 末方鐵郎

参考文献

  • 『創立100周年記念誌 博愛』 1990 尼崎市立博愛幼稚園
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