地主手作

じぬしてづくり
出典: Web版尼崎地域史事典『apedia』

  上層農民がその家族労作規模をこえる所持地を小作人に小作させないで、奉公人や日雇を雇って自ら経営するものをいう。尼崎地方を含む西摂農村では、中世期の隷属農民をもつ大家族経営は近世初期にはほぼ解体し、隷属農民は小農民として自立するとともに、主家は単婚家族と年季奉公人によってその所持地を耕作するようになった。一部の大高持の場合にはその手作地とともに、手余り地を下層農民に小作させた。こうして17世紀中期には地主手作経営がその周辺に小作制度をともないつつ広く成立した。17世紀末以降この地方での米・綿作菜種作等の商品生産化とその収益の増大の結果、地主手作経営は商品生産者的性格を強め、たとえば武庫郡西昆陽村氏田家のように年雇や日雇を雇用し、3町歩程度の多角的な商品生産的農業を営み、かなりの剰余を残す富農経営が西摂農村には普遍的に出現した。しかしこれらの富農経営は農産物価格の低下と肥料費の高騰のなかで、幕末天保期から明治中期にかけてその手作地を縮小し、小作地貸付けに重点をおく地主に変化した。特に所持地が大であればあるほどこの傾向は強く、幕末期に10町歩程度をもつ大地主はそのほとんどの所持地を貸付け、手作地はきわめて小規模となった。

執筆者: 山崎隆三

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