摂津国府

せっつこくふ
摂津国衙より転送)
出典: Web版尼崎地域史事典『apedia』

  摂津国の国務は当初、難波宮および難波津を管理するとともに、摂津国の行政を兼帯する、摂津職とよばれる特別行政機関によって行なわれた。摂津職の官衙は難波京内に置かれたと考えられ、その所在地は現在の大阪市天王寺区国分町のあたりとする説が有力である。793年(延暦12)に摂津職が廃されて国に改められたが、摂津職の官衙はそのまま国府(国衙)として利用されたと思われる。しかし805年(延暦24)11月に、国府は「江頭」に移された(日本後紀)。「江」は難波の堀江で、現在の天満橋付近と考えられる。その後825年(天長2)4月に豊島郡の郡衙の南の地に移され(日本後紀)、835年(承和2)11月には河辺郡為奈野に移す計画が立てられたが、民衆の疲弊を理由に中止され、鴻臚館〔こうろかん〕を修理して国府に転用することになった(続日本後紀)。鴻臚館は外国使節を接待するための施設で、東区の大川沿いの地に存在したと考えられる。

執筆者: 長山泰孝

参考文献

  • 『大阪府の地名』 1986 平凡社
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