日本木管

にほんもっかん
日本木管尼崎工場より転送)
出典: Web版尼崎地域史事典『apedia』

  1905年(明治38)3月、大阪市南区戎町3丁目で創業した紡績用木管類を生産する合資会社。約半年後、堺に移転。創立者は、伊予宇和島藩の分家吉田藩藩士の山内栄ら。1910年9月株式会社化(資本金5万円)。1911年1月、尼崎町大物に工場開設。尼崎への移転理由は、山内栄が尼崎紡績1898年以来約6年間在勤したこと、尼崎が将来工業地帯として発展する可能性が大で水運が便利であり地価も安いこと、さらに堺工場がそのころ類焼したことなどによる。1914年(大正3)1月、名古屋工場を買収合併し資本金15万円となる。製品の種類は、ノースロップ織機用木管・整経機用ワーピング木管・織機用スプール木管・撚糸木管など。特に撚糸木管は合板によって製造し、軽量で耐久力強く低廉で狂わず特許を得た。1916年現在、社長上田弥兵衛・専務取締役山内栄、外役員7名、職工477名(うち尼崎408名・名古屋69名)。1919年の生産額は113万8,835円67銭。1917年大日本木管、1925年日本木管と社名変更。のち名古屋に移転。尼崎工場の跡地は文化会館となった。

執筆者: 中山正太郎

  昭和20年代の『製造事業所名鑑』(尼崎市発行)及び『商工名鑑』(尼崎商工会議所発行)により、同社が昭和20年代に尼崎市昭和通2丁目に存続していたことが確認できる。その一方で、『日本都市戦災地図』(原書房、1983年)及び昭和23年航空写真から、同社工場が大きな戦災被害を受けていることが確認できる。ジェーン台風時の写真や尼崎市文化会館建設時の写真には、廃墟となった同社工場施設が映っており(いずれも史料館所蔵市広報課撮影写真)、戦災後、市の用地となる文化会館が建設されるまでの間、被災した工場施設が放置された状態だったのではないかと考えられる。

執筆者: apedia編集部

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