今日は何の日(12月23日)

出典: Web版尼崎地域史事典『apedia』
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  • 将軍足利義詮が東寺より尼崎へ下向し、これに従う細川勢・赤松勢ら7万余騎は南朝方の軍勢に対して大島・渡辺・尼崎・鳴尾・西宮に陣をはった。将軍は翌年5月まで大覚寺に在陣した。(1359年
  • 尼崎藩が、築地町の古地も惣町勘定のほとんどを他の城下7町なみに負担すべきと裁決した。(1768年
  • 築地町の総代・組頭は、不漁のため漁師達が困窮しているとして御肴銀の減額を尼崎藩に願った。(1870年
  • 播磨国多可・宍粟・赤穂3郡の尼崎県管轄所村々50か村が、飾磨県に移管された。(1871年
  • 武庫郡役所が、米価暴落対策として生産者保有米を担保とする金融の斡旋に努めるようにと管内の各農会に通知した。(1914年
  • 尼崎市農地委員会委員の候補者16人全員が無投票で当選した。(1946年
  • 尼崎市水道局が昭和通二丁目から三反田芦原町(現東七松町二丁目)に建設した新庁舎に移転し、業務を開始した。(1963年
  • 大阪空港騒音調停が成立し、13年ぶりに決着した。(1986年
  • 老朽化のためユニチカが解体を検討しているユニチカ記念館について、同社と協力して適切な保存活用方法を検討するよう尼崎市に求める日本建築学会会員(個人)の請願を、尼崎市議会が採択した。(2020年
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