県主

あがたぬし
出典: Web版尼崎地域史事典『apedia』

  大和国家の直轄領である県〔あがた〕を支配する在地首長。県主制の成立の時期については、3世紀後半から5世紀にかけてのころとみる説、5世紀中葉とみる説、5世紀後半以降とみる説などがあるが、少なくとも国造制により早く成立したと考えられる。本来の県は倭〔やまと〕・河内・吉備〔きび〕・筑紫など、初期大和政権と関係の深い地域を中心に分布し、尾張・美濃を東限として西日本に展開している。県主制は国造制が盛行する67世紀には実質的な意味を失い、遺制化したとする説と、国造制の下部組織に組みこまれて、国県制とよばれる地方行政制度を形成したという説とが対立している。県主は王権に隷属し、大王家の家政に必要な物資と労働を提供したと考えられる。摂津国の県主としては、淀川右岸の三嶋県主と、猪名川下流の猪名県主とが知られている。

執筆者: 長山泰孝

参考文献

  • 長山泰孝「猪名県と為奈真人」『地域史研究』第2巻第2号 1972
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