神崎駅(近世)

かんざきえき(きんせい)
出典: Web版尼崎地域史事典『apedia』

  大坂から西宮に通じる中国街道および大坂から伊丹・小浜(現宝塚市)に通じる街道(有馬道)の宿駅として、神崎村に置かれた江戸時代の駅所。尼崎(別所)駅と同じく、尼崎藩の保護を受けて幕府の公用のためだけに人馬の継ぎ立てを行ない、諸大名の御用などの公用の場合は大坂-西宮、大坂-伊丹と継ぎ立てた。駅所としての最盛期は元禄享保期(1688~1736)で、1744年(延享元)の文書にはかつて本役人が50軒余もあったのに43軒に減っていると記されている。神崎駅は伊丹および近在の酒荷物の継ぎ立てによって繁盛したが、幕府指定の駅馬ではなかったため、伊丹駅の馬借と争論がおきた。また、神崎村は付近の村々だけでなく丹波方面からの年貢米の津出し場所であり、1758年(宝暦8)には年貢米や浜着の他国米その他の諸荷物をあつかう問屋6軒があった。

執筆者: 地域研究史料館

関連項目

案内
検索

  
ヘルプ
ツール
索引