福島玄

ふくしまはかる
出典: Web版尼崎地域史事典『apedia』

  通称・ふくしまげん

  1907年(明治40)8月18日 - 1987年(昭和62)11月29日

  長崎市岩瀬道町で三菱長崎造船所職工の次男として生まれた。長崎三菱工業学校の本科卒業、実習科2年在学中、総同盟長崎連合会に出入りし、メーデーのパンフレットを会社に持ち込んだことが会社のスパイに摘発され、1924年(大正13)9月退学処分を受けた。佐賀・大阪で旋盤工となったが解雇され、知人を頼って神戸に移り総同盟兵庫県連の安芸盛〔あきさかん〕を紹介され無給の青年前衛隊に属した。総同盟第2次分裂に際し上京、河上丈太郎を知り帰神、日本労農党の専従となった。1929年(昭和4)4月合同紡神崎工場争議では組合同盟オルグとして活動、この争議を機に尼崎に定住した。1931年武川ゴム争議など多くの労働争議を指導、投獄経験も。1931年藤岡文六らの国家社会主義と決別し、全労尼崎地区の中心的指導者となった。1936年の尼崎市会議員選挙に社会大衆党から当選したが、1940年落選。労働組合解散後町工場等で糊口を凌ぎ、召集。終戦後総同盟尼崎連合会および兵庫県連主事・社会党尼崎支部書記長。1947年兵庫県会議員に当選(2期)、労働常任委員長。阪神労働信用組合を創設して常任理事・理事長を歴任した。

執筆者: 久保在久

参考文献

  • 福島玄「組合同盟・全労の運動に生きて」『地域史研究』第7巻第1号 1977
  • 『戦前尼崎の労農運動』 1979 尼崎労農旧友会
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