組合同盟

くみあいどうめい
出典: Web版尼崎地域史事典『apedia』

  1926年(大正15)12月9日の日本労農党結成に呼応して、日本労働組合同盟(組合同盟)が同月4日に発足するにあたり、総同盟尼崎連合会からも会長藤岡文六らとともに武庫川・兼重など5支部600人が組合同盟に移り、あらたに尼崎労働組合を構成した。しかし、尼崎労働組合の国領巳三郎らは、大阪労働組合の浅井富次郎らとともに共産党党員として翌1927年(昭和2)4月の組合同盟全国大会で藤岡らと対立、関西合同労働組合への再編成、乾鉄線争議の指導を通じて反幹部闘争を展開し、工代会議で総同盟支部へ浸透もはかった。組合同盟本部は6月9日に工代会議に対抗して賃下げ反対同盟の組織を指令、7月20日、関西合同労組書記喜入虎太郎を除名、8月末には関西合同労組の主要支部が離脱して、藤岡のもとに組合同盟阪神連合会をあらたに結成した。1930年8月に全国同盟尼崎連合会と合同して、全労阪神地方連合会となった。

執筆者: 岩村登志夫

参考文献

  • 『兵庫県労働運動史』 1961 兵庫県労政課