衛生組合

えいせいくみあい
出典: Web版尼崎地域史事典『apedia』

  明治期の伝染病流行などに対応すべく、1894年(明治27)尼崎町内有志が衛生組合を組織しようとしたが失敗、1903年には県令にもとづき再度尼崎衛生組合が設立され、衛生思想普及と施設の整備に努めたが、十分な成果をあけず形骸化していった。1916年(大正5)4月の市制施行とともに同組合が復活し体制・施設とも整備され、衛生事務に加えて一般行政の補助的役割も果たした。1923年8月には市と尼崎警察署の指導のもと衛星組合連合会が組織され、市の補助や県費交付などを受けて普及活動や駆蠅駆蚊、下水道清掃などに取り組んだ。また同連合会は1930年代には市会の煤煙防止河川浄化委員会とともに大気汚染に対する反対運動を展開した。1936年(昭和11)の小田村との解消合併の結果、衛生組合は全市44組合を数えるにいたったが、1941年4月大政翼賛会傘下に町内会が組織されると、これとの連携をはかるため町内会連合会区域にあわせて市域10組合に改組、1942年尼崎市大庄・立花・武庫村の合併後は18組合となった。1943年ころまでは活動していたことが確認できるが、戦後まで継続したかどうか不詳。

執筆者: 地域研究史料館

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