銀目廃止

ぎんめはいし
出典: Web版尼崎地域史事典『apedia』

  江戸時代には金銀銭3貨が流通し、そのうち銭貨は全国的に流通したが金貨は江戸を中心とする関東で、銀貨は大坂・京都を中心とする関西で流通した。しかし幕末期には秤量貨幣である銀貨は実際にはほとんど流通せず、ただ諸物価が銀(貫匁)建てで定められるという意味での銀遣いとなっていた。しかし金と銀との相対的比率(相場)が絶えず変動し(銀安の傾向)、そのため取引が不便となっていた。そこで維新政府は、1868年(慶応4)5月幣制改革の手はじめとしてこの銀遣いの廃止を布告し、諸物価は金(両・分・朱)建てと銭(貫匁)建てとに統一された。これが銀目廃止である。その結果たとえば尼崎藩では、それまでの銀札を銭札と交換し、また1869年(明治2)9月には金札1万両を発行した。

執筆者: 山崎隆三

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