1882年

出典: Web版尼崎地域史事典『apedia』
世紀:18世紀 - 19世紀 - 20世紀
年表 10年紀:1860年代 1870年代 1880年代 1890年代 1900年代
周辺の年:1879年 1880年 1881年 1882年 1883年 1884年 1885年

明治15年

  • 2月16日 - 脩斉・精研の2校を廃して脩斉・橘園・精研・月池の4小学校が設置された。
  • 4月17日 - 善法寺高田額田の3村は、下坂部村の小墾田小学校への通学が不便なため設けた私塾の閉鎖を郡役所から命じられ、解決策の指示を戸長に求めた。
  • 4月20日 - 川辺郡は郡教育会および郡教育共進会の規則を布達した。その後5月1日第1回郡教育会が郡役所で開かれた。
  • 7月1日 - 尼崎交番所が尼崎分署に昇格し、守部栗山両分署が新設された。
  • 8月21日 - 尼崎港が修築費5割県費補助の17港のうちに加えられ、町は中在家町魚市場前から新築防波堤沖までの浚渫工事を行なった。
  • 9月25日 - 兵庫県は坂部分署など村協議費による5分署の設置にさいして警ら区域を告示した。
  • 9月28日 - 尼崎地方のコレラ流行に対して、川辺郡役所中在家町に検疫事務所を開設した。
  • この年
    • コレラの流行に対応して大洲村避病舎が設置された。
    • 塚口小学校が敬業小学校に、愛真小学校が修正小学校に改称された。
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