善法寺

ぜんぽうじ
出典: Web版尼崎地域史事典『apedia』

  小田地区の大字。1228年(安貞2)「将軍藤原頼経袖判下文」(尊経閣所蔵武家手鑑/鎌倉遺文)中の源時光に地頭職が宛行〔あてが〕われた摂津国善法寺を比定する説や、1482年(文明14)ころの「摂津国寺社本所領并奉行方知行等注文」(蜷川家文書/大日本古文書)に記される夢窓国師創建の寺院善法寺が地名の由来であるとする説がある。史料上の初見は1594年(文禄3)「善法寺村検地帳」(太田善夫氏文書)。『摂津志』によれば中世には椋橋西荘の荘域であった。

  村の大部は近世を通じて領主がめまぐるしく交替し、幕府領もしくは主として大坂城代領・京都所司代領、小部は天正年間(1573~1592)から旗本平野氏(長重系)知行所であった。村高は「慶長十年摂津国絵図」に224.244石、「元禄郷帳」「天保郷帳」に224,24石とある。西明寺井組に属した。氏神は白井神社、寺院は浄土真宗本願寺派円融寺。

  1889年(明治22)以降は小田村1936年(昭和11)以降は尼崎市の大字となった。1981年住居表示で善法寺町となり、一部が弥生ヶ丘町となった。

執筆者: 地域研究史料館

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