カマル製煉所鉱毒ガス問題

カマルせいれんしょこうどくガスもんだい
出典: Web版尼崎地域史事典『apedia』

  1906年(明治39)築地町に開業した尼崎産銅所では、銅精煉にともなう有毒ガスを密集市街地に放出したので付近住民の問題となったが、まもなく同工場が倒産したので問題は自然消滅した。しかしそのあとに1910年設立されたカマル製煉所はいっそうはげしく有毒ガスを放出し、尼崎第一・第二の両小学校長から「児童が頭痛吐気をもよほし教育上不健康」という上申書が提出されたほどであった。築地町・別所町旧城郭内の住民は町民大会を開き、工場の立ちのきを町長に誓願した。町は県に対して同所の営業取消を上申したが、県は設備改善を勧告するに止まった。しかし住民の運動によって1913年(大正2)同製煉所は大阪に移転し、問題は解決した。

執筆者: 山崎隆三

参考文献

  • 小野寺逸也「尼崎における公害問題の展開過程(1)」『兵庫史学』第45号 1966
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