上ノ島遺跡

かみのしまいせき
出典: Web版尼崎地域史事典『apedia』

  上ノ島町2・3丁目、かつての武庫川水系の河口近くに位置した遺跡で、1959年(昭和34)にはじめて遺物包含層が確認された。出土遺跡の上限としては縄文晩期土器片2点が出土しているが、遺跡としては大阪湾沿岸における弥生時代最古の一つである。大量の土器・石器・木器・動植物遺体が生活址から検出された。土器は弥生前期最古のもの(畿内第I様式〔古〕〔中〕〔新〕)だけが出土し、前期の中葉・後葉に始まる武庫川水系北方の武庫庄遺跡や、田能遺跡を代表とする猪名川水系の遺跡に先行する時期の遺跡である。出土土器は完形品こそ少ないが、破片の量は大量である。1961年までに出土した、破片を含む土器の器種の割合は、壺53.2%、甕〔かめ〕36.0%、鉢9.2%、甑〔こしき〕1.4%、高杯〔たかつき〕0.2%であった。甕形土器の器形には縄文晩期土器の系列に属するものも含まれる。土器文様には沈線文・突帯文・木葉文・鋸歯文・渦巻文・流水文などがあり、木葉文には黒漆を塗って研磨したものも出土。木製品では鍬類・臼・建築用材や、椀〔わん〕・杓子・弓などが出土。石器は、打製大型石斧〔いしおの〕・磨製大型蛤刃〔はまぐりば〕石斧・石包丁・戈〔か〕状石器・石鏃〔いしやじり〕・石錐〔いしきり〕・砥石〔といし〕・叩石〔たたきいし〕・不定型刃器など。植物遺体は炭化米(ジャポニカ種短形)のほか、ブドウ・マクワウリ・フクベやヒシ・オニバスなど食用植物と湿地帯であった旧地形を示すものが出土した。湧水の中での調査であったが、住居址に不用品を投棄したような状況で多量の遺物が堆積していた。現在、遺跡地の立花中学校内に竪穴式住居1棟が復元されている。

執筆者: 村川行弘

  その後火災により立花中学校内の復元住居は失われ、かわって同地に竪穴式住居のモニュメントが設置されている。

執筆者: apedia編集部

参考文献

  • 『尼崎市上ノ島遺跡』尼崎市文化財調査報告8 1973

関連項目

案内
検索

  
ヘルプ
ツール
索引