弥生時代

やよいじだい
出典: Web版尼崎地域史事典『apedia』

  数千年以上にわたる縄文時代の後に、紀元前3世紀ころから稲作農耕・金属器(青銅器・鉄器)・弥生土器を特色として成立した農耕民主導の社会である。紀元3世紀ごろに古墳時代に移行した。大陸の江南の地にあった農耕民が漢帝国の膨張によって日本列島へ渡来したとする説もある。一説によれば、縄文時代晩期の近畿の人口2,100人(日本列島総人口75,800人)が弥生時代前期には108,300人(同前総人口594,900人)に激増したと推計されている。稲作農耕の技術をもった鉄文明の世界からの大量の渡来人によって、日本の弥生時代が形成されたと考える説である。しかし弥生時代の前兆は縄文晩期にすでにみられる。晩期初頭(2,900年前)には北九州の各地にジャポニカ米種の稲作農耕が波及しており、晩期後半には伊丹市南部・尼崎市域北辺を含む大阪湾沿岸に稲作が伝わっていた。渡来人と縄文人による爆発的な人口の増大と開発にあたっては、大阪湾周辺がその一大中心地となっていた。市域の武庫川水系に属する上ノ島遺跡は、弥生前期(約2,300年前)の単純遺跡で住居跡をともない、その直後の時期から猪名川水系の田能遺跡が母村的拠点集落として形成される。その他、武庫川水系では武庫庄遺跡北裏遺跡栗山庄下川遺跡東武庫遺跡などが、また猪名川水系では猪名川川床遺跡藻川川床遺跡東園田遺跡・などが確認されている。

執筆者: 村川行弘

参考文献

  • 小山修三『縄文時代』 1984 中央公論社
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