兵庫県農工銀行

ひょうごけんのうこうぎんこう
出典: Web版尼崎地域史事典『apedia』
旧兵庫県農工銀行尼崎支店(1970年撮影)
旧兵庫県農工銀行尼崎支店(1970年撮影)

  日清戦争後になると、多年の懸案となっていた特殊金融機関の増設が日程にのぼり、農工業のために長期資金を供給すべく、1896年(明治29)4月に日本勧業銀行法と農工銀行法が公布された。この農工銀行法に則って、1898年3月県出資30万円、一般株主出資70万円、計100万円の資本金で神戸に設立されたのが株式会社兵庫県農工銀行である。同行は当初農工債券の発行をなしえず、それを勧業銀行の代理貸付によって凌いたが、1907年11月に第1回農工債券を発行し、その発行高を大正期にかけて増大させ、貸出資金の拡充につとめた。貸付は、地域の農工業者にたいして長期低利の資金を供給することを旨としたが、産業化の進展にともない市街地の資金需要にも対応し、市街地宅地建物抵当貸付をかなりおこなっていたようである。同行は、大正期豊岡・三田両支店の開設を手始めに県下に支店展開をおこない、その一環として1923年(大正12)10月尼崎支店を宮町に開設した。尼崎は第1次大戦期以降顕著な産業発展をとげ、「土地の需要も多く地価も騰貴すると共に之が金融機関の必要」(同行三十年誌)があったためとする。1928年(昭和3)上期の同行の貸付金の地域分布をみると、神戸市に4,100万円、武庫郡に1,100万円の分布がそれぞれあり、ついで尼崎市、川辺郡、城崎郡にも300万円以上の分布がみられた。同期の尼崎支店の貸付金は338万8,348円であり、預り金は247万2,598円、保護預り証券は44万1,910円であったことから、支店レベルでいえば貸出超過であったといえるであろう。その後農工銀行は昭和期にはいると勧業銀行に吸収合併されるが、兵庫県農工銀行も1937年3月日本勧業銀行に合併され、尼崎支店は勧銀の尼崎出張所となり、1940年9月支店となった。そして1971年10月日本勧業銀行と第一銀行の合併により、同支店は第一勧業銀行尼崎支店となり、店舗を現在昭和通5丁目においている。

執筆者: 天野雅敏

  第一勧業銀行は2002年(平成14)4月にみずほ銀行と商号変更を行なった。

執筆者: apedia編集部

参考文献

  • 『兵庫縣農工銀行三十年誌』 1928
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