尼崎公事船

あまがさきくじせん
出典: Web版尼崎地域史事典『apedia』

  公事船とは、室町時代から江戸時代にかけて幕府や大名らが徴用した民間の船をいう。1468年(応仁2)天与清啓を正使とする遺明船が派遣された時、淀川の実権を握る鳥羽問丸の船を使用して、河口の尼崎まで使節の荷物を積み下す予定であったが、鳥羽問丸が遺明船の停泊する兵庫津(津)まで運ぶことを主張して不服を申し出た。そこで遺明船を率いる紹本という人物が計略を用いて荷物を尼崎まで輸送し、摂津守護細川の奉書をもって仕立てた尼崎公事船に積み替えて兵庫まで運んだという。遺明使は守護細川の力で尼崎問丸に公事船を仕立てさせたのであろうが、鳥羽や尼崎のように有力な港津にはそれぞれに籍をおく船が活躍してその利権を競っていたので、積み替えが必要であった。

執筆者: 田中勇

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