1640年代

正保元年より転送)
出典: Web版尼崎地域史事典『apedia』

  年表:

  世紀: 16世紀 - 17世紀 - 18世紀

  10年紀: 1610年代 1620年代 1630年代 - 1640年代 - 1650年代 1660年代 1670年代

  各年: 1640年 1641年 1642年 1643年 1644年 1645年 1646年 1647年 1648年 1649年


  1640年から1649年までの10年間を指す。

1640年代の年表

  • 1640年(寛永17)
    • この年 - 契沖が尼崎藩士下川元全の子として尼崎で生まれた。
  • 1642年(寛永19)
    • この年 - 西新田村地内に浜新田が開発された。
  • 1643年(寛永20)
    • 2月16日 - 青山幸成が江戸で没した。
    • 3月26日 - 幕府は、故青山幸成の遺言どおりに尼崎藩領新田高の一部を組み入れて本高を5万4,000石とし、長男幸利尼崎藩主4万8,000石を継がせ、6,000石を二男以下3人の子に分知することを認めた。
    • 6月6日 - 藩が、江戸へ向かう朝鮮信使兵庫津で接待した。
    • この年 - 青山氏の分知にともなう検地が藩領の武庫庄常吉西大島などで始まった。
    • この年 - 西新田村地内に角右衛門新田が開発された。
  • 1644年(正保元)
    • このころ刊行の『毛吹草』に尼崎の名産として餅貝・蛤・爪白蟹があげられている。
  • 1646年(正保3)
    • この年 - 儒者鵜飼石斎が青山幸利に仕官した。
    • このころ - 青山幸利が領内坂本村の伝楠木正成墓に梅松2株を植え五輪塔を建てたという。
  • 1647年(正保4)
  • 1648年(慶安元)
    • 2月26日 - 京都の郡奉行・東町奉行・伏見奉行は、水論の裁決が出るまで百間樋井組武庫川取水を停止した。
  • 1649年(慶安2)
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