民費

みんぴ
出典: Web版尼崎地域史事典『apedia』

  明治初年国・府県が国税・府県税を徴収して支弁する官費にたいして、その他の町村の維持のために町村民が負担した諸経費を包括的に民費と称した。1872年(明治5)4月庄屋が戸長と改称されたとき、その給料・諸入用は「毎戸或ハ小間割」で徴収すること、その後同年10月には区長らの給料などについても「悉皆民費之積相心得可申」ことが布達されている。市域の具体例でみると、武庫郡常吉村の18731875年の民費の内容は、戸長以下給料旅費、道路・橋梁・堤防の修繕費、水利費、学校費、布達費、貢米取集費、郷村社費、消防費、番人費、区役所費などのほか、このときの臨時的な地租改正に関する費用まで含まれている。民費の賦課方法は石高割・地租割・戸数割・人別割などがあったが、支弁費目によっても異なっていて画一的でなく、町村民の自主的な決定に任されていた。1878年の地方税規則は地方税(府県税)の税源として、それまでの府県税の営業税・雑種税のほかに、民費として徴収されていた地租割・戸数割を加えた。また地方税の支弁費目も警察費・府県会議費など12費目が列挙して明示され、戸長給料などもそのなかに含められた。地方税は府県会の議決が必要であったのにたいして、それ以外の町村限りの経費は「町村内人民ノ協議ニ任セ」られたので協議費とよばれることになった。ここに民費が地方税と協議費とに分離されたが、1884年5月の地方制度改正で協議費はさらに町村費と協議費とに分離された。その後も協議費に残された地租改正費などは民費と称された場合もある。

執筆者: 山崎隆三

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