長遠寺

ぢょうおんじ
出典: Web版尼崎地域史事典『apedia』

  寺町にある日蓮宗・京都本圀寺末の寺院。山号は大堯山。同寺所蔵「大堯山縁起」(尼崎志第1篇、兵庫県史史料編中世4)には1350年(観応元)日恩開基とある。寺伝では開基の地は七松とされ、のち尼崎町に移ったらしく、1569年(永禄12)の信長による尼崎町焼き討ちの際は戦火を免れ、1572年(元亀3)には尼崎町市場巽(近世風呂辻町のうち長遠寺町、現東本町2丁目)への建立を信長が命じている。1598年(慶長3)以降本堂、多宝塔・客殿などが建立され、塔頭16坊におよぶ広大な寺域を占めたが、近世尼崎城築城により現在地に移った。本堂の移転は1623年(元和9)であったことが棟礼に記されている。移転により寺域も縮小されたものと思われ、1692年(元禄5)には塔頭5坊、現在は中正院1坊のみとなっている。本堂多宝塔が国指定重要文化財、鐘楼・客殿・庫裏が県指定文化財、雲版鰐口・絹本著色涅槃図・紙本着色日蓮大聖人註画讃・長遠寺文書が市指定文化財となっている。

執筆者: 地域研究史料館

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