阪神電鉄争議

はんしんでんてつそうぎ
出典: Web版尼崎地域史事典『apedia』

  阪神電鉄1905年(明治38)開業した。翌1906年5月1日賃上げ・労働時間短縮等の要求を掲げ乗務員がスト突入、同日解決。尼崎最初のストと称される。談笑倶楽部による1922年(大正11)7月争議を経て1924年7月の争議は大阪市電・南海電鉄と並んで大争議に発展し、関西地方を電車ストライキの渦に巻き込んだ。1924年4月ころまでに総同盟加盟者が280人に達したので、28日尼崎市立図書館で総同盟加盟の阪神電鉄従業員組合が結成された。6月16日郊外電鉄労働組合と改称、16項目の要求を決議した。25日会社は他団体加盟を理由に組合を否認したので、27日従業員大会を開きスト決行を決議、翌朝から突入した。労使とも譲らず、争議は持久戦となった。7月4日県議・市議らの呼びかけで尼崎市民大会が開かれ、労使双方に早期解決申し入れ、在郷軍人会によるスト破りもなされた。7月10日藤岡文六ら4幹部が尼崎署に検束されるなか、12日の争議団大会は杭瀬都座で開かれ会社提案の79名の解雇承認・規定解雇手当支給・容認事項の即時実施・労組脱退には触れず等の条件を賛成多数で可決、ストは中止された。同時期に大ストライキが敢行されたことは、その後の郊外電鉄労働者の待遇改善に資するところ大なるものであった。

執筆者: 久保在久

参考文献

  • 桑田次郎『電車ストライキ』 1925 クラルテ社
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