丹波屋

たんばや
出典: Web版尼崎地域史事典『apedia』

  1804年(文化元)このころから尼崎風呂辻町で、荒物問屋・米仲買・酒造業を営み、代々七兵衛を襲名した。荒物は酒樽用の樽巻菰・莚〔むしろ〕、樽立縄を扱い、園田・小田地区の農民が農業の余暇に生産したものを集荷して、伊丹西宮・灘ほかの遠隔地の酒造業者に売った。米仲買は、兵庫津の米問屋から買い、神崎川・淀川を利用して京都に運んだ、白米は八部〔やたべ〕・菟原〔うはら〕郡、大坂で買い入れ、尼崎城下の消費用に販売した。文化文政(1804~1830)のころ尼崎藩に願い出て、荒物仲間を結成した。商売関係の古文書を主とした1,050点余が、田中七平氏文書、田中種子氏文書として史料館に整理保存されている。

執筆者: 山下幸子

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