尼崎市会

あまがさきしかい
出典: Web版尼崎地域史事典『apedia』

  1916年(大正5)の市制施行によって市会議員の定数は30人となり、また町会の二級選挙制から三級選挙制(各級定数10人)となった。その後1921年の地方選挙制度の改正で二級選挙制となったが、1926年普通選挙法の施行とともに等級選挙制は廃止となり、1932年(昭和7)には人口増に比例して定数36人となった。

  1936年小田村との解消合併により新議員定数は36人となり、旧市・村議員定数合計66人が大幅に減員となった。さらに1942年3か村合併後は旧市を定数36人のまま第1区とし、大庄地区は第2区9人、立花地区は第3区5人、武庫地区は第4区2人と4選挙区制とし、総定数も市制規定の44人より8人の増員となった。戦後1947年4月の選挙では合併した園田地区をふくめて全市1選挙区定数40人で実施された。その後、順次定数が増加し、1963年に52人となって現在にいたっている。

執筆者: 山崎隆三

参考文献

  • 『尼崎市議会史』記述篇・資料篇・施政方針演説集 1970・1971

関連項目