岸本商店尼崎製釘所

きしもとしょうてんあまがさきせいていしょ
出典: Web版尼崎地域史事典『apedia』

  岸本吉右衛門は日本鋼管の設立にも参画した大阪の有力な鉄鋼商であったが、その一族の資本によって1901年(明治34)、尼崎に岸本製鉄所が創設された。さらに1911年には合資会社岸本製釘所が設立され、翌1912年中大洲(新城屋新田、現東向島西之町)に竣工した工場が創業をはじめた。これは1907年東京に創設された深川製釘に次ぐ、日本では2番目の製釘工場であった。また製鉄所では1916年(大正5)釘の素材となる線材の圧延をはじめたが、民間経営では日本で最初の試みであったといわれる。第1次大戦終結後の1919年9月、この岸本製鉄所・製釘所はすべて住友伸銅所に譲渡され、住友の尼崎進出の端緒となった。当時の製鋼設備は25トン平炉3基、圧延設備は年産2万5,000トンの能力を備えていた。

合資会社尼崎製釘所の工場鳥瞰図(あまがさきアーカイブズ所蔵絵はがき)
合資会社尼崎製釘所の工場鳥瞰図(あまがさきアーカイブズ所蔵絵はがき)

  1922年軍縮不況に直面して、住友伸銅は一時製釘部門の閉鎖を行なったが、その後魚津要太郎が住友から製釘設備を譲り受けて1923年11月、再び(合資)尼崎製釘所が設立された。岸本も出資して資本金は16万円、1937年の株式会社への改組(資本金20万円)を機に経営は岸本商店に移った。その後、岸本商店自体が合併などにより、1941年三興(株)、1944年大建産業(株)と商号を変えた。戦後1949年12月、大建産業の再建整備計画により伊藤忠商事・丸紅・呉羽紡績・(株)尼崎製釘所の4社が分離設立された。1961年大証2部に上場、1969年資本金を4億円に増資、6月にはアマテイ(株)と改称した。

執筆者: 名和靖恭

  アマテイ(株)公式Webサイトによれば、魚津要太郎が住友伸銅所から製釘設備を譲り受けて合資会社尼崎製釘所を設立したのは1924年(大正13)1月であり、その後1929年(昭和4年)3月に尼崎製釘所新工場が西高洲新田(現西高洲町)に完成した。

執筆者: apedia編集部

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