森永製菓塚口工場

もりながせいかつかぐちこうじょう
出典: Web版尼崎地域史事典『apedia』

  滞米11年におよぶ修行をおえ、洋菓子製造法を修得した森永太一郎は、1899年(明治32)6月帰国し、同年8月東京赤坂溜池2番地裏通りに2坪の工場をもつ森永西洋菓子製造所を創設した。その後マシマロー・バナナ等のソフトキャンディーを主力商品として躍進をとげるとともに、あらゆる機会をとらえ多様なメディアを利用して活発な広告・宣伝活動を行ない、森永の菓子を世間に印象づけた。そして1910年個人商店から株式会社に組織変更し、1912年(大正元)10月には社名を現在の森永製菓(株)に改めた。また1914年黄色い紙箱入りミルクキャラメル20粒を10銭で発売し、人気を博し、その大量生産にのりだすとともに、折からの第1次大戦期の需要の急増に対応すべく大阪に進出した。大阪工場の敷地は狭隘で増設の余地がなかったので、1921年福知山線塚口駅前(上坂部・御園〔みその〕)に6万坪の土地を取得して、総合経営方式を強化すべく鉄筋コンクリート3階建て延1,920坪のビスケット工場とした。これが塚口工場である。英国べーカー・パーキンス会社から最新式ビスケット機械ガス・オーブン3線式を購入し、同工場にその7台を据付け、英人技師を招聘して英国風のビスケットを製造した。なお塚口工場のキャラメル製造は1926年に開始され、大阪工場は廃止となり塚口工場は1925年に完成した関東の鶴見工場とならぶ同社の主力工場となったのである。

執筆者: 天野雅敏

  塚口工場設置に先立って、森永製菓は尼崎工場を別所に開設しており、1920年(大正9)3月創業(『尼崎市勢』(大正10年8月調)及び「大正九年工場票」による)、同年5月25日に工場施設が落成し、ミルクキャラメルの製造を開始している。1921年3月3日、同工場は塚口工場に合併し閉鎖された(同社社史等による、以下の記述も同じ)。

  一方、塚口工場は、1918年2月28日に用地を取得して建設工事に着手しており、完成前の1920年9月にはすでに工場内にスタンド付き野球場を設け一般に無料開放するといった営業活動を開始している。1921年3月10日、鉄筋コンクリート3階建ビスケット工場が落成。1923年5月1日にビスケット製造を開始し、同年6月15日に塚口工場製造ビスケット製品を発売した。前記の通り1926年(大正15・昭和元)にはキャラメル製造を開始し、戦時期の軍による管理監督時代を経て1951年9月4日にチョコレート製造設備が完成している。1980年6月には同社のキャラメル製造が塚口工場に集約されるなど、同社主力工場のひとつとして製造を続けたが、高崎工場(群馬県高崎市)に生産を集約するという同社方針のもと、2013年(平成25)10月をもって閉鎖された。

  塚口工場の跡地約8.4haには民間事業者による再開発事業が施行され、JR塚口駅の駅ビル・集合住宅・商業施設・公園などからなる街「ZUTTOCITY(ズットシティ)」として、2016年4月9日にまちびらきが行なわれた。

執筆者: apedia編集部

参考文献

  • 『森永五十五年史』 1954
  • 『森永製菓一〇〇年史』 2000
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