碇の水尾

いかりのみお
出典: Web版尼崎地域史事典『apedia』

  尼崎市域中央部を南下してきた庄下川の河口部。中在家町南の浜を西行し、新城屋新田1716年・享保元開発)を西島(現西向島)・東島(現東向島西之町)に分けて南流、海に注ぐ水路。水尾は、船の航行に適した水路のこと。この水尾は、1695年(元禄8)には営業が確認されている生魚問屋碇屋などの問屋へ、瀬戸内海全域の浦々から、生魚を積んだ生簀船が数多く往来して、尼崎生魚市場の繁栄をもたらした。碇屋の先祖が開削したとの伝承がある。

執筆者: 山下幸子

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