魚市場

うおいちば
出典: Web版尼崎地域史事典『apedia』

  中世尼崎町における魚市場の機能は、近世初頭に尼崎城が築かれる庄下川東岸の海浜部に位置していたと考えられる。尼崎城築城にともない魚市場は中在家町浜戎神社のほとりの戎の浜(現中在家町2丁目)に移され、さらに1758年(宝暦8)、同町大浜筋4丁目(現中在家町4丁目)に移され、東西43間、南北5間の規模で新設された。各地からの漁船(客船)が出入りする碇の水尾の正面に位置し、隣接する築地町には客船のための船宿が建ち並んでいた。市場では魚種別に取引順序が定められ、生魚問屋が買い入れた生魚が市売り(競り売り)・下売り(相対売り)併用で売買された。江戸時代を通じて尼崎の魚荷は堺の荷とともに大阪市中に大量に出まわり、1772年(安永元)大坂雑喉場〔ざこば〕生魚問屋の株仲間が市中での販売独占権をもって以降は、尼崎・堺の魚荷はたえず取締りの対象となった。魚市場は近代にいたるまで生魚問屋の集合体として営業を続け、1937年(昭和12)(株)尼崎魚市場を設立、1941年大阪魚(株)に買収されるなど経営形態に変遷はあったが一貫して江戸時代以来の位置を動かず、1950年玉江橋東詰(昭和通2丁目)の市営卸売市場に入場したことにより廃止された。

執筆者: 地域研究史料館

参考文献

  • 『尼崎志』第3篇 1935 尼崎市

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