1954年

出典: Web版尼崎地域史事典『apedia』
世紀:19世紀 - 20世紀 - 21世紀
年表 10年紀:1930年代 1940年代 1950年代 1960年代 1970年代
周辺の年:1951年 1952年 1953年 1954年 1955年 1956年 1957年

昭和29年

  • 1月1日 - 市営バス最初のワンマンカー5台が導入され、出屋敷-第二発電所間で運行を開始した。
  • 3月20日 - 「尼崎大防潮堤完成記念 栄える産業博覧会」がセンタープール(競艇場)一帯を主会場として尼崎市兵庫県・朝日新聞社共催により開幕し、5月19日まで開催された(防潮堤)。
  • 4月1日
    • 市立七松小学校が市立水堂小学校から分離して設置された。
    • 市立尼崎商業高等学校が城内小学校内に仮校舎を置く形で設置された。
    • 尼崎市は工場誘致条例を公布した。
    • 神戸製鋼所尼崎工場が神鋼鋼線鋼索として分離発足した。
    • 尼崎港が海外との通商貿易を認められる開港場に指定され、7月1日に開港した。
    • 宝塚町と良元村が合併して宝塚市が成立し、武庫郡が消滅した。
    • 久保田鉄工神崎工場を新設し、石綿セメント管の生産を開始した。
  • 4月20日 - 防潮堤閘門の開通式が行なわれた。
  • 4月22日 - 尼崎製鋼所労組が4月11日以来の部分ストから全面スト・工場占拠へと移行した(尼崎製鋼所争議)。
  • 5月10日 - 尼崎地方労組協議会は総同盟尼崎地方協議会として発足した。
  • 6月1日
    • 争議議中の尼崎製鋼所が不渡り手形を出し、事実上倒産した。
    • 岡本静心著『尼崎藩学史』が刊行された。
  • 6月27日 - 尼崎製鋼所労組は全員大会において、指名解雇承認・闘争終結を決定した(尼崎製鋼所争議)。
  • 6月30日 - 翌日からの新警察法施行を前に市警察の解散式が行なわれた。
  • 7月1日 - 尼崎港が海外との通商貿易を認められる開港場として開港した。
  • 7月4日 - 尼崎製鋼所労組は全員投票の結果、全従業員解雇を承認することに決定した(尼崎製鋼所争議)。
  • 7月 - 尼崎市は国立公衆衛生院鈴木武夫博士の指導を得て、浮遊粉じん・二酸化硫黄濃度などの調査を開始した。
  • 8月1日
    • 市内ほぼ全域の電話を尼崎局区域に統一すると同時に、大阪局区域への編入と自動化が実施され、市内局番が48となった。また、尼崎電話局は西長洲字西ノ口の新局舎に移転し、大阪堂島地区電話局尼崎分局と改称した(市外局番06)。
  • 10月1日 - 尼崎商工会議所が特殊法人として新発足した。
  • 11月25日 - 尼崎市は騒音防止条例を公布した。
  • 11月 - 尼崎市は衛生局衛生課に初の公害担当職員を配置した。
  • 12月12日 - 兵庫県知事選挙と尼崎市長選挙が行なわれた。県知事に前尼崎市長の阪本勝、尼崎市長に前市助役の薄井一哉が初当選し、薄井一哉が当日付で尼崎市長に就任した(1期目)。
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