1959年

出典: Web版尼崎地域史事典『apedia』
世紀:19世紀 - 20世紀 - 21世紀
年表 10年紀:1930年代 1940年代 1950年代 1960年代 1970年代
周辺の年:1956年 1957年 1958年 1959年 1960年 1961年 1962年

昭和34年

  • 1月 - 住友金属工業は鋼管製造所の合理化の第一着手として継目無鋼管の高能率熱間押し出し製造設備を新設した(住友金属工業鋼管製造所)。
  • 2月5日 - 名神高速道路の藻川橋・猪名川橋工事が着工した。
  • 3月16日 - この日と17日の市立産業高等学校・城内高等学校の入試事務を勤務評定に反対する尼崎市高教組(高等学校教職員組合)が拒否したため、市教育委員会は事務局職員・幼稚園教員などを動員して入試を実施した(勤評闘争)。
  • 4月1日
    • 神崎製紙が創立10周年を記念して尼崎市に寄せた基金をもとに、市内家庭出身大学生を対象とする奨学金制度「尼崎市神崎製紙育英事業」が発足した。
    • 市立潮小学校が市立下坂部小学校・浜小学校から分離して設置された。
    • 日亜製鋼と日本鉄板が合併し、日新製鋼が発足した。
  • 4月7日 - 尼崎市は西ドイツアウクスブルク市姉妹都市提携を結び、調印式を市文化会館で行なった。
  • 4月9日 - 兵庫県教育委員会の職務命令により、尼崎市は教員の勤務評定書を提出した(勤評闘争)。
  • 4月30日 - 尼崎市議会議員選挙が実施された。
  • 4月
    • 協同組合尼崎工業会(1945年結成の尼崎工業会とは別団体)の前身である尼崎中小企業振興会が設立された。
    • 労働福祉事業団の兵庫総合職業訓練所が開所した。
    • 兵庫県立尼崎高等学校野球部が第31回選抜高等学校野球大会(甲子園)に出場し、1回戦で福島県立会津高等学校を3対0のスコアで、2回戦で北海道立北海道苫小牧工業高等学校を延長16回の末7対4のスコアで、準々決勝で高知市立高知商業高等学校を1対0のスコアで下し、準決勝で私立中京商業高等学校に2対1のスコアで敗れた。
  • 5月26日 - 尼崎市立(旧組合立)伝染病院の仁川病院の閉鎖が決まった。
  • 5月1日 - 市立公民館が南城内の私立尼崎訓盲院跡から昭和通2丁目に新築された市立図書館施設内に移転した。
  • 6月1日 - 尼崎電信局が5月31日付で廃止され、替わってこの日、尼崎電報局が設置された(電信・電話)。
  • 6月18日 - 日紡記念館(現ユニチカ記念館)の竣工式が行なわれた。
  • 6月 - 南城内の私立尼崎訓盲院跡に事務室を置き、金楽寺小学校内に臨時閲覧室を設けていた 市立図書館が昭和通2丁目に新築移転し、16日に開館式を行ない17日から業務を開始した。
  • 7月7日 - 兵庫県と尼崎市の教育委員会は、高校入試事務拒否を理由に、市立城内高等学校の教諭1人を懲戒免職とし、講師1人の採用継続を打ち切る処分を下した(城内高校問題)。
  • 7月25日 - 安保条約改定阻止尼崎市民共闘会議が結成され、社会党尼崎支部、総評尼崎地方評議会などが参加した(安保闘争)。
  • 8月1日 - いずみや尼崎店が神田中通に開店した。尼崎市内に進出した大手スーパーマーケットの第1号であった。
  • 8月20日 - 鶴町岸壁の公共荷揚げ場の使用を開始した。
  • 9月4日 - 尼崎青年会議所の創立総会が開催され、同会が設立された。
  • 9月 - 市立立花中学校の西側と北側で弥生前期の遺物包含層が見つかり、上ノ島遺跡の存在が初めて確認された。
  • 10月15日 - 高校入試事務拒否に起因して教諭1人・講師1人が処分された城内高校問題は、後任2教諭の受け入れとともに収束した。
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