工場法

こうじょうほう
出典: Web版尼崎地域史事典『apedia』

  1911年(明治44)3月29日公布された我が国最初の労働者保護法。産業の発展にともない工場労働における深夜・長時間労働の弊害が問題化したことにより制定された。児童の就業禁止、年少者・女性の深夜業禁止、工場主の労働災害補償義務などが盛り込まれたが、資本家団体の反対等もあって施行が1916年(大正5)9月1日まで延期されたうえ、規制の基準引き下げ・適用除外規定があるなど重要な部分で骨抜きとされた。1919年国際労働機構(ILO)が結成され国際的な批判が高まる中、政府は1923年に同法を改正し、適用工場の拡大・最低就労年齢の引き上げ・就業時間制限・就業規制作成を盛り込み1926年施行したが、実施まで3年の猶予期間がおかれた。尼崎ではこの改正工場法に対し、資本家団体・尼崎商工共和会が、同年の総会で工場主にとって不利で政府の干渉であるとし、反対陳情を行なった。また1929年(昭和4)には改正法による紡績業深夜業廃止、賃金低下をめぐって争議がおこっている。戦後労働基準法の施行にともない廃止された。

執筆者: 久保在久

参考文献

  • 野間義治『尼崎商工会議所史』 1944
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