常松

つねまつ
出典: Web版尼崎地域史事典『apedia』

  武庫地区の大字。市域北西部、武庫川の東岸に位置し、西国街道が村域の北部を通過している。弥生時代北裏遺跡がある。史料上の初見は1471年(文明3)「摂津本郡守護代薬師寺元長遵行状」(大乗院寺社雑事記、文明4年正月8日条/『尼崎市史』第4巻)で武庫庄恒松村とある。1478年6月「室町幕府奉行人奉書」(同前、文明11年正月2日条/『尼崎市史』第4巻)によれば恒松は武庫荘の名田であり、南に隣接する常吉と同じく開発領主名に由来する地名と考えられる。

  近世初期には幕府領1617年(元和3)尼崎藩領となった。村高は「慶長十年摂津国絵図」に130.53石、「元禄郷帳」に201.905石、「天保郷帳」に202.278石とある。また、天和貞享年間(1681~1688)「尼崎領内高・家数・人数・船数等覚」(『地域史研究』第10巻第3号)には家数27軒、人数16人、1788年「天明八年御巡見様御通行御用之留帳」(『地域史研究』第1巻第2号・第3号)には31軒、122人とある。生島井組に属した。西昆陽に接する村域北端に西国街道の髭の渡しがあり、武庫川西岸への船渡しは常松と西昆陽が月番で担当した。氏神は春日神社(近世には春日大明神社)、寺院は浄土真宗大谷派浄正寺。

  1889年(明治22)以降は武庫村1942年(昭和17)以降は尼崎市の大字となり、1984年の住居表示により常松となったほか、一部が常吉・武庫豊町・西昆陽となった。

執筆者: 地域研究史料館

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