1840年代

弘化元年より転送)
出典: Web版尼崎地域史事典『apedia』

  年表:

  世紀: 18世紀 - 19世紀 - 20世紀

  10年紀: 1810年代 1820年代 1830年代 - 1840年代 - 1850年代 1860年代 1870年代

  各年: 1840年 1841年 1842年 1843年 1844年 1845年 1846年 1847年 1848年 1849年


  1840年から1849年までの10年間を指す。

1840年代の年表

  • 1840年(天保11)
    • 4月23日 - 築地町の油屋治兵衛の願いにより尼崎藩は細工樫売買問屋仲買株3株を免許した。
    • 10月23日 - 1829年(文政12)の江戸大火により類焼した江戸藩邸の再建が完成したので、尼崎藩大庄屋へほうびを与えた。
    • 11月30日 - 尼崎藩は、大物町塚口屋五郎兵衛宅を寄せ所とする鶏卵専売の実施を藩領村々にはかった。翌月瓦林組村々は全戸で鶏を飼うのは困難と回答した(専売制)。
    • この年 - 平左衛門新田の支配について開発人平左衛門と西新田村が和談証文を取りかわし、検地帳は平左衛門へ、免状は西新田村へ下付されることとなった。
    • この年 - 藩主松平忠栄著『貽厥編』『喫茶問答』が刊行された。
  • 1842年(天保13)
    • 1月 - 尼崎藩からの新銀札引請けを促す回状に対して、村々から引請けの容赦願いや減少願いが出された。
    • 3月26日 - このころより阿波国のお陰参りの者が尼崎城下を通りはじめた。
    • 4月18日 - 次屋村と村の農民から樽巻菰・縄を買い占めた両村の4人は、買入れ価格の値上げを要求して尼崎荒物仲間に売り渡さなかったために大坂町奉行所へ訴えられた。
    • 6月13日 - 尼崎藩は、百姓に対して7か条、町人に対して12か条の生活統制規定を触れた。
    • 6月15日 - 老中水野忠邦は、江戸・大坂周辺の大名飛び地・旗本知行所の公収を目的とする上知令を発した。
    • 6月16日 - 尼崎藩は在方での商売および出稼ぎ職人を禁止した。
    • 6月19日 - 尼崎藩は、瓦林組大庄屋の願いにより在方諸商人差止めを解除した。
    • 6月 - 尼崎魚問屋仲間は、幕府の株仲間解散の触にしたがって魚市屋と改称し、また商品の2割値下げを行なった。
    • 7月8日 - 尼崎藩は、将軍家の上野御霊屋普請手伝い入用銀を大坂商人から借用し、返済のための御用銀上納を領内へ高掛りで申し付けた。
    • 10月19日 - 藩の鶏卵方役人は、月々家別に卵2個または代銭40文ずつの上納を村々に命じた(専売制)。
    • 11月 - 尼崎藩は、大庄屋・村々庄屋を新城屋新田会所に招き、大砲の献上を依頼した。
    • 12月 - 尼崎藩の大砲鋳造加勢として、正銀・唐金が藩領村々から上納された(翌年2月まで続いた)。
    • この年 - 藩主松平忠栄の直命によって、西大手の腰掛けの後方に目安箱が設置された。
  • 1843年(天保14)
    • 1月11日 - 尼崎藩は、前年に始めた新銀札引請けの仕法を改正した。
    • 7月6日 - 尼崎藩に献上された大砲7挺の試射が武庫川原で行なわれた。
    • 7月 - 老中土井利位が摂津国に領有する飛び地領村々及び、神戸藩・館林藩の河内国飛び地村々は、先納調達銀の返済に支障がおこるとして、この時期から9月までくり返し大坂周辺の大名飛び地・旗本知行所上知令を実施しないよう嘆願した。
    • 8月8日 - 奢侈禁止令の実施にともない、東富松村で藩役人・大庄屋・村役人による座敷改めが行なわれた。
    • 閏9月7日 - 老中土井利位が上知令撤回の触書を出した。
    • 10月16日 - 尼崎藩は、鶏卵料上納を奇特として藩領村々の村役人・鶏卵支配人を下屋敷へ呼び酒肴を下した(専売制)。
    • 12月13日 - 守部村の百姓は、凶作に対する領主の手当を求める願書に庄屋が調印を拒んだので、夜中に太鼓を打って庄屋宅へ強訴した。
    • この年 - 西新田村地先に四郎兵衛新田が開発された。
  • 1845年(弘化2)
    • 4月 - 尼崎藩から財政管理を委された伊丹の商人小西新右衛門・笹屋勘左衛門は、借財整理案を藩に提出した。
    • 5月 - このころ、尼崎では京都への生魚上積屋仲間一七人が年番で禁浦御用魚調進方を勤めていた。
    • 7月 - 伊丹の小西・笹屋が、江戸藩邸への仕送り銀や返済方法などについての規定書を取りかわした。
    • 9月 - 尼崎藩は、小西・笹屋らからの借財金利息を、三反田瓦林荒牧の3大庄屋組村々から5か年間毎年1,250俵の郷払米で支払うこととした。
    • このころ - 尼崎藩は尼崎・大坂・江戸に交易会所を設け、領内産物の売買を始めた。
  • 1846年(弘化3)
    • 1月28日 - 尼崎城の本丸御殿が御殿内からの出火で焼失した。
    • 4月 - 尼崎藩は、播州飛び地領赤穂郡上郡村の商人大門屋要輔に一代限りの苗字帯刀・大庄屋格を許し、藩の銀主を勤めるよう命じた。
    • 6月13日 - 尼崎城本丸御殿が再建され、鎮殿祭が執行された。
    • この年 - 中谷雲漢が城下八軒町に武士を対象とした漢学塾の止善社を開いた。
  • 1848年(嘉永元)
    • 4月20日 - 城下の魚積仲間は、仲間の二本一屋が生魚問屋同様の商売や沖買いをして生魚問屋との取引きを停止されたことで、魚問屋若仲衆へ詫び証文を入れた。
  • 1849年(嘉永2)
    • 4月20日 - 尼崎藩は、本丸御殿再建の御用銀1,552貫余に皆納を賞して藩領村々に酒料を下し、全村の村役人らを3日にわけて下屋敷へ召し出し酒飯を供した。
    • 10月 - 生魚商人たちは、商売不振のために生魚問屋に取引き残銀がかさんでいるため、今後は割り増しの現銀で取引きしたいと生魚問屋に嘆願した。
    • 11月 - このころ、尼崎城下大覚寺町の除痘館で種痘が行なわれた。
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