明治4年戸籍
めいじ4ねんこせき
出典: Web版尼崎地域史事典『apedia』
明治維新政府が江戸時代以来の宗門改帳に代わる戸籍として最初に実施したもので、京都府仕法戸籍とも呼ばれる。1868年(明治元)10月政府の所在地であった京都府において戸籍仕法が公布・実施されたが、翌年2月「府県施政順序」において政府はこの京都府仕法にならって戸籍を編成するよう全国の政府直轄府県に命じた。これをうけて兵庫県(第1次)は兵庫県戸籍編製法を定め、県管轄下にあった旧幕府領・旗本領などの村々の戸籍編製をすすめることを、1871年(明治4)4月27日に政府に報告している。現存するものによってみると、この戸籍は同年5~7月ころに完成したものと推定される。たとえば友行村・岡院村のように兵庫県と尼崎藩とにわかれている村では、兵庫県に属する戸口についてのみこの戸籍がつくられ、尼崎藩に属する戸口についてはつくられていない。この戸籍の大きな特徴は、通常の戸籍内容である家族構成にかんする記載事項のほかに、帳面の上部4分の1のところに線をひき、下欄に家族と年齢などを記載、上欄に職業・田畑所有地積と石高・家屋・牛馬・持船などを記載しており、たんなる戸籍以上に家産・産業の調査という意味をもつところにあった。また五人組ごとにまとめて記載するという旧来の五人組帳のなごりを止めており、平民戸籍のほかに華族・士族・神社・寺院など身分別に作成されている点では宗門改帳と共通したところがあった。このように旧領知と身分制にとらわれている点で、近代的戸籍制度とはいえないものであった。