歩兵第70連隊
ほへいだい70れんたい
出典: Web版尼崎地域史事典『apedia』
日露戦争後の軍備拡張により、歩兵第70連隊を1907年(明治40)9月に第4師団第7旅団所属連隊として設置することが決定され、同年11月に大阪の第4師団内に編成され、翌1908年3月21日に篠山町へと移駐した。福知山線沿いの氷上〔ひかみ〕・多紀・有馬・川辺の4郡と阪神間都市部を徴兵区とした。この結果、現尼崎市域のうち川辺郡域は第4師管(大阪)篠山連隊区に属し、歩兵は第4師団第70連隊に入営、また武庫郡域は第10師管(姫路)神戸連隊区に属し、歩兵は第10師団第39連隊(姫路)に入営することになった。1925年(大正14)5月、軍縮により4個師団が削減され、これにともない同年4月に陸軍管区表が改訂される。その結果、この時期から日中戦争期まで、現尼崎市域の壮丁はすべて第4師管(大阪)神戸連隊区に属し、歩兵は第70連隊に入営することになった。1937年(昭和12)満州派遣中に日華事変勃発、1940年の軍制改革により第70連隊は第4師団から分離し、同じく他師団から分離した第14(小倉)・第40(鳥取)の両連隊とともに第25師団を編成して関東軍直属となった。この1940年の軍制改革により、現尼崎市域の壮丁は姫路師団に招集・訓練の後外地の各野戦部隊に適宜配属されることになった。第70連隊は大戦末期には本土決戦のため宮崎県に移駐、ここで終戦を迎えた。
日華事変中に当連隊の予備役・後備役を召集して編成した歩兵第170連隊は、バイヤス湾(広東省)の敵前上陸から華南戦線を経てベトナムに進駐、その後南洋パラオ島に移動中に輸送船の轟沈で全滅、連隊そのものが消滅したという悲劇の部隊である。
参考文献
- 広岡正蔵『兵庫郷土の篠山歩兵第七十聯隊』 1986 フジクリエイト
- 神山参二『あゝ兵庫兵団』 1969 のじぎく文庫
- 宮川秀一「兵庫県における陸軍管区の変遷」『地域史研究』第11巻第1号 1981