第10師団

だい10しだん
出典: Web版尼崎地域史事典『apedia』

  日清戦争後の師団倍増で12コ師団制となった時、新設第10師団が姫路に置かれた。当師団は満州事変では建国直後の満州国で掃討作戦に従事し、日華事変では北平〔ペイピン〕から津浦線沿いに南下、台児荘〔タイルーチャン〕の苦戦を経て徐州〔シューチョウ〕会戦に参加した。昭和の軍制改革では関東軍所属となって満州国佳木斯〔チャムス〕に永駐と決まり、1940年(昭和15)8月、40年にわたる衛戍地姫路に訣別した。そのあとに留守師団業務と師管区業務とを担当する第54師団が置かれて、通称「姫路師団」と呼ばれたが、やがてアメリカ軍の本土上陸に備えて長野県松代に地下大本営の設営が進むと、その大本営防衛のため姫路師団が松代に移駐して長野師団と称した。こうして姫路には常設師団がなくなり、“軍都姫路”の名は消滅した。

執筆者: 宮川秀一

参考文献

  • 宮川秀一「兵庫県における陸軍管区の変遷」『地域史研究』第11巻第1号 1981
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