法界寺

ほうかいじ
出典: Web版尼崎地域史事典『apedia』

  園田地区の大字。市域北東部、藻川の東岸に位置する。『摂津志』によれば中世には椋橋西荘の荘域であった。史料上の初見は1605年「慶長十年摂津国絵図」。

  近世初期には幕府領または大坂城代領1692年(元禄5)に武蔵国忍藩阿部氏(忠吉系)の領地となり、1823年(文政6)幕府領となった。村高は「慶長十年摂津国絵図」に255.117石、「元禄郷帳」に255.973石、「天保郷帳」に256.33石とある。また1869年「明治2年法界寺村明細帳」(『尼崎市史』第6巻)には家数29軒、人数139人とある。三ツ又井組に属した。氏神は白井神社、寺院は浄土真宗本願寺派安養寺。

  1889年(明治22)以降は園田村1947年(昭和22)以降は尼崎市の大字となった。1936年には阪急電鉄園田駅が開設された。1961年町名改正により東園田町の一部となり、法界寺という地名は消滅した。

執筆者: 地域研究史料館

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