物産調査

ぶっさんちょうさ
出典: Web版尼崎地域史事典『apedia』

  1870年(明治3)民部省は「土地物産之多寡ヲ検覈〔けんかく〕致候ハ政典ノ急務」として政府直轄府県に物産表を録上(報告)することを命じた。市域でも法界村・岡院村にこのときの書上げの控えが残っているが、実産額ではなく豊凶を平均した1年の見積額である(一部の地方では1869年にも実施された形跡がある)。翌年から大蔵省所管となり、自村内消費分と村外輸出分を区分した実産額が調査され、1874年からは内務省の殖産興業政策の下で自用と輸出の区分をなくし、調査対象を拡大した詳細な調査がはじめられ、1882年ころまで続いた。これらの調査の村単位の控えは市域にも多数残っているほか、全国的に府県別・郡別に集計されたものもある。そのうち1874年の物産表には全国的のも珍しい兵庫県の一九区制別に集計されたものが、市域の平瀬家文書から発見されている。これらの調査は、明治初年の、地方の経済状態を知るうえに貴重な史料である。

執筆者: 山崎隆三

参考文献

  • 『尼崎市史』第7巻 1976
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