軍事教練

ぐんじきょうれん
出典: Web版尼崎地域史事典『apedia』

  日清戦争後強力な軍隊を養成するため教育の軍国主義化がおしすすめられた。その一つのあらわれとして1896年(明治29)琴城尋常高等小学校で木銃50挺を購入し兵式体操訓練が行なわれるようになった。これは学校での軍事教練のはじまりであった。1925年(大正14)陸軍現役将校学校配属令によって中等学校以上大学にいたるまで現役将校が学校の教官として配属され、軍事教練が正課となった。他方進学しない勤労青少年のために1926年青年訓練所令によって各小学校に青年訓練所がいっせいに付設され、16~20歳の4年間小学校教育の補足とともに軍事教練を実施した。さらに1935年(昭和10)青年学校令により実業補修学校と青年訓練所は統合されて青年学校となり、もっぱら壮丁予備教育として軍事教練が実施された。

執筆者: 山崎隆三

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