小学校

しょうがっこう
出典: Web版尼崎地域史事典『apedia』

  学制によって市域で最初に開校したのは、秦野塾を母体として1873年(明治6)2月開設した常松小学(のち常吉小学)であるが、同年末までに市域には23校と1分校ほかに猪名寺に私立の有明小学が開設された。しかし小学校の経費は村にとって大きな負担となり、経費節約などの理由で1875年から1878年までの間統廃合がすすんだ結果、14校5支・分校となり、1877年末の学区制のもとで尼崎町を除いて1学区1校がほぼ実現した。当時の過程は上・下等各4年、各等は8級(1級は6か月)にわけられた。1881年改正教育令は初等科3年・中等科3年・高等科2年に改めたが、1886年小学校令にいたって尋常科・高等科各4年となり、ほかに3年制の簡易科ができた。市域では尼崎高等小学校のほか、尋常小学校6校(うち2校に簡易科付設)、簡易小学校5校となった。1889年町村制のもとで尼崎町、小田立花大庄園田武庫の各村にそれぞれ中心校が1校ずつ設立されることになり、いっそう統合はすすんだ。簡易小学校は尋常小学校に復帰し、支・分校も多く廃止された。その代わり通学の便のため中心校が移転新築されることが多かった。しかし1900年には小田・園田両村にそれぞれ第一・第二校ができ、その後人口増加とともに1町村1校の原則はくずれた。1931年(昭和6)には市域に13校(高等小1、尋常小6、尋常高等小6)、1940年には19校(高等小1、尋常小11、尋常高等小7)に増加した。なお1907年の小学校令改正で尋常科6年、高等科2年の制度となったが、終戦までつづいた。この間、1941年3月には国民学校令の公布により名称が国民学校となったが、第2次世界大戦後小学校の名称に復した。1947年4月以降は6・3制のもと、3年制の中学校とともに、小学校は6年制の義務教育となった。これより先、1947年1月からは男女共学も実施された。その後、人口の増加にともなって市域の学校数は増加し、1994年(平成6)5月現在で市立45校、私立2校、生徒数29,130人となった。

執筆者: 山崎隆三

  2007年(平成19)5月1日現在、市立43校、私立1校、市立小学校の生徒は23,949人である。

  2002年(平成14)1月に策定された「学校適正規模・適正配置推進計画」により、2004年4月に市内でもっとも古い歴史を持つ開明・城内小学校が統合して明城小学校になった。統合後の校舎は旧城内小学校を使用。旧開明小学校の校舎は2006年4月から尼崎市役所開明庁舎として活用されている。2006年4月には常光寺・杭瀬小学校が統合し、杭瀬小学校創立。現在は旧常光寺小学校を仮校舎として使用している。

執筆者: apedia編集部

参考文献

  • 『尼崎市戦後教育史』 1974
  • 『続尼崎市戦後教育史』 1993

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