1730年代

出典: Web版尼崎地域史事典『apedia』

  年表:

  世紀: 17世紀 - 18世紀 - 19世紀

  10年紀: 1700年代 1710年代 1720年代 - 1730年代 - 1740年代 1750年代 1760年代

  各年: 1730年 1731年 1732年 1733年 1734年 1735年 1736年 1737年 1738年 1739年


  1730年から1739年までの10年間を指す。

1730年代の年表

  • 1730年(享保15)
    • 5月6日 - 並河誠所が山田村や今津村に近辺の生津西新田西大島村などの村役人を呼び、各村の小字名などを聞き取った。
    • 6月 - 幕府が藩札の再発行許可を布達。
    • 11月 - 尼崎藩銀札の再発行を幕府に申請し許可された。
  • 1731年(享保16)
    • この年 - 菟原郡の六甲川沿いに油稼ぎ専業の水車建設(灘目水車)。
  • 1732年(享保17)
  • 1733年(享保18)
    • 1月25日 - 尼崎藩は、尼崎城詰めの御用米のうち半分の5,000石を大坂の幕府蔵奉行に引き渡し終えた。
    • このころ - 前年秋の虫付き凶作のため多くの飢人が出て各村々で救助合力した。西新田村の場合は4月まで毎日30人に1人あたり小麦1合の支給であった。
  • 1734年(享保19)
    • 3月27日 - 大坂の上荷船・茶船仲間は、尼崎藩が大坂で購入した米を尼崎渡海船に直積みさせるのは定法に反すると大坂町奉行所に訴えた。
    • 4月15日 - 尼崎藩は延米上納について年賦割合など5か条を触れた。
    • 12月 - 有馬・武庫・川辺郡内の土砂留普請費用の負担が、国役普請から尼崎藩の負担になった。
  • 1735年(享保20)
    • 閏3月23日 - 大島井組内の分水争論について、尼崎藩今北村の主張を退け東大島村を井親とする裁定を下した(今北村と大島井組下3か村井親争論)。
    • 10月 - 尼崎藩は領内に新たにできた大工組が尼崎城下の大工を雇わないのに対して、領内の普請には城下大工も雇い、他領大工・組内限りの雇用には支配方の差図を受けるよう命じた。
    • 12月 - 大坂町奉行所は尼崎から積み出す米について触を出し、過書船神崎川・中津川を積み出す分の荷主・送り先および渡海船が大坂へ積み送る分の荷主・送り先を報告するよう命じた。
    • この年 - この年刊行の『五畿内志』中に尼崎の名産として鳥貝と赤貝があげられている。
  • 1737年(元文2)
  • 1738年(元文3)
  • 1739年(元文4)
    • 4月11日 - 旗本青山氏領農民の逃散事件について幕府の判決が下り、青山氏の代官は追放、村々庄屋たちは遠島以下に処せられた(逃散(旗本青山氏領))。
    • この年 - 東新田村善助が銀5貫目分の藩札を発行した。
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